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成田とロックと武田武士

  • 執筆者の写真: 小野ゼミ ブログ更新係
    小野ゼミ ブログ更新係
  • 2019年2月13日
  • 読了時間: 3分

 6期生の網倉です。小野ゼミ生の日常シリーズの第三弾ということで、農業とは全くもって関係ないお話になると思いますが、おつきあいください。



 一応毎日本は読むようにしているのですが、ご覧の通り農業以外の本は音楽本くらいしか読みません…

 音楽を聞くようになったのは10年以上前なのですが、特にブルースロックはほぼ毎日聴き続けるほど好きです。日本のロックも好きで、布谷文夫のようなアクの強いブルースマンを聴いて育ちました。



 そこで日本のロック黎明期と、僕の家にまつわるちょっとしたエピソードをご紹介します。



 左の写真は、1971年に行われた日本の音楽フェス「日本幻野祭」のアルバムの復刻版です。これは現在のロックフェスと違い、千葉県の成田市三里塚で開かれた非常に政治的な音楽フェス、すなわち「成田空港建設反対運動」の一環でした。今では日本の玄関といわれ親しまれている成田空港ですが、実は建設当時モメにモメていたのです。建設地に指定された農地などを収用する第1次の強制代執行は負傷者1000人以上、第2次の際には機動隊員3名がデモに殺害されるという悲劇が起きています。


 そんな血なまぐさい緊張の中で行われた幻野祭ですが、実は日本のロック、ジャズ史上非常に重要なアーティストが多数出演した壮大な祭でした。のちにクリエイションに変貌するブルースクリエイション (プロレスのザファンクスの入場曲って言えばわかりますかね)、フリージャズの高柳昌行はニューディレクション名義、ロストアラーフは世界的に有名なアバンギャルドミュージシャンの灰野敬二によるグループです。録音が残っていませんが、伝説のサックス奏者の阿部薫も演奏したと言われていて、日本のロックの父である内田裕也も参加予定だったそうです。


 このフェスには地元の主婦らも建設反対のために参加していたようで、盆踊りのパフォーマンスを行っていました。そこに飛び込みで参加したのが「知床旅情」で有名な加藤登紀子(若い人はジブリの紅の豚のEDならピンと来るかも)です。三里塚闘争の精神になぞらえて民謡の「武田節」の合唱が行われました。


 この武田節という歌は正確には古くからある民謡でなく、大正時代以降に製作された「新民謡」に分類されるもので、作詞・作曲者が明確に存在しています。民謡で有名な昭和の大歌手である三橋美智也の歌ったレコードはミリオンセラーとなりました。武田節の作詞は米山愛紫(あいし)という詩人で、山梨県にある学校や企業などの校歌や社歌などを多く手がけました。この米山愛紫は何を隠そう僕の親戚に当たる人で、山梨県御坂町の人間なんです。なので網倉家はよくカラオケで武田節を歌います(笑)


 なぜ山梨県の歌が成田空港の建設と関係があるのでしょうか?その理由は米山の書いた歌詞にあります。


祖霊まします この山河

敵に踏ませて なるものか


 武田節はその名の通り、山梨の武将武田信玄につかえる武士の精神を歌ったものです。そのため、先祖代々続くこの土地を守り抜くぞという文句が入っており、それが空港建設に反対するデモ隊の思想と合致していたのです。実際、この歌を歌う地元の主婦たち「婦人行動隊」は「これは三里塚の歌ではありませんか!」と高らかに宣言しています。


このエピソードは僕の親戚でも知らない人がいるくらいマイナーな話ですが、自分の親戚の作った歌が、伝説のロックフェスで歌われたというのがなんか妙な気持ちにさせます。


日常というテーマとは少しズレましたが、農業に関係ない小噺をする機会なんてそうそう無いのでちょっと書いてみました!それではまたの機会に。

                               6期生 網倉

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